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2010年09月 アーカイブ

2010年09月02日

ソフトバンクホークス対西武ライオンズ

7回戦~9回戦 7回戦、ホークスは、和田、西武は、涌井の先発で始まった。和田は、初回に1点、3回に1点、5回に2点を取られ、降板した。和田は、「自分の投球を全部悪かった。スピードは、無いし切れも悪く変化球も落ちず、曲がらなかった」と言ってたみたいだ。次回は、きっと修正して来てくれると信じている。反対に西武涌井は、今期今まであまり良くなかったようだが、この試合は、ホークスの打者を手玉に取り、8回までノーヒット、9回イ・ボムホが2塁打をかろうじて打ち、ノーヒット、ノーランを阻止した。0-4で完敗だった。 8回戦、ホークスは、杉内、西武は、許の先発、ホークスは、初回にオーティスのツーランホームランで先制した。が、杉内もあまり良くなく、走者を背負いながら、満塁も2回、本多のファインプレーなどでしのぎ、6回を投げ、SBMにつなぎ7勝目をあげた。多村も6回、自己通算150号になるホームランを打った。3-1で勝った。 9回戦、ホークスは、小椋、西武は、苦手の帆足の先発。2回に1点先制したが、ホームランで追いつかれ、4、5回にも点を入れられ1-4で負けた。ホークスは、帆足に翻弄させられた。何故か、西武には、弱いホークス、松田は、手首の骨折で戦線離脱、調子が良かっただけに痛い。イ・ボムホにすれば、チャンスだ。良い所を見せてほしい。

2010年09月08日

余話として

日本は、江戸時代260年の平和を保ってきたが、幕末ぺりー来航の事件より国内が「尊皇攘夷」の風が吹き荒れ、明治継続戦争が起こり、明治政府が樹立された。その後数多くの戦争を国内外でやってしまった。西南戦争、日清、日露戦争、第1次世界大戦、ノモハン事変、日中戦争、太平洋戦争、1945年終戦まで明治維新からわずか80年に満たない時期にこんなに多くの戦争があった。そのつど、そのつど国の事情、世界の事情があったにせよ少し驚かされる。ある学者が、「地球上の人口が、増え続ければ、地球の摂理で戦争、大災害(地震等)疫病(現代ではエイズ)等が蔓延し人口を減らしてくれるだろう」という説を訴えていた。まさに先ほどの戦争の時代が、そうであったのか。ただし、その大きな犠牲のあとで、太平洋戦争後64年間日本は、平和を保っている。憲法9条の戒めもさることながら、この国民の民度が高まり、2度と戦争をしたくないという信念的なものが生まれたからだと思う。ただし、この平和は、日米同盟で守られてきた物と認識してほしい。普天間基地問題は、なかなか解決しそうもない。戦後60数年、我々日本人は、沖縄県民にどれだけ負担を強いて来た事か。その事を国民一人一人気持として受け止めてほしい。ただ残念なのは、代替基地を1道1都2府40数県の知事が、だれも手を挙げない事である。手を挙げると県民が、ごうごうと反対をするだろう。だが、この現状を痛烈に訴えてこそ意義あるものではないだろうか。日本人が、持ってきた道徳、優しさ、男らしさ、他人への思いやり自己を犠牲にしてまで人を助けるという精神は何処に行ったのか。オリンピック誘致より余程意義がある!

2010年09月14日

司馬遼太郎の「この国のかたち」より

文春文庫本の1~6巻に収められてる日本人の本質を長年にわたって考察してきた著者の深く洞察にもとずく歴史評論集である。その中で、日露戦争の講和条約のポーツマス条約で、日本に不平等な条件を強いられたと一部の国民が、怒りを爆発させ、日比谷公会堂で何万人という人が、条約の反対運動を行い、警官隊と衝突し、死亡者、負傷者が出たそうである。司馬氏は、この時から敗戦(太平洋戦争)への道につながるものがあったと言っている。それは、この戦争が終了して、客観的に分析した政府も軍もマスコミも無かったという事である。条約交渉中ならそれは、秘すべき項目かもしれないが、あの時点で、日本の満州における弾薬は、底をつき戦費もほとんど無い状況であった事、ロシアが、条約を飲まずに、戦争が再開されていたら、日本陸軍は、壊滅的な打撃を受け、非常に困難な事になっただろうという事である。それらの事を一部の政治家、軍人が知ってた上で、あの条約を結んだのである。何故、条約成立後公表しなかったのか、特にマスコミ関係は、この条約締結には、裏があると思わなかったのか、また、その程度だったのか。今だから批判できるというのか。その後昭和期に入る。日本陸軍関東参謀部の独走によって行われたノモハン事件、満州事変そして日中戦争の泥沼に入って行く。それはまさに統師権 を後ろ楯に行ったものである。明治憲法は、三権分立(行政権、立法権、司法権)その他統師権があったそうである。よくわからないが、国家非常時には、この統師権が、上の三権より上に位置が上がり、軍が、それを壟断して昭和の悲惨な滅亡に追いやったといえる。太平洋戦争は、軍、民間あわせて600万以上だったと聞く。二度と起こしてはならない歴史の半面教師である。

2010年09月19日

司馬遼太郎「この国もかたち」より

室町時代は、14世紀から16世紀である。我々日本人は、室町の子と言える。 ①、今日本建築と呼んでいるのも、室町末期に起こった書院造りから出ている。 ②、華道や茶道というすばらしい文化もこの時代を源流としている。 ③、能、狂言、謡曲もこの時代に興りさらに日本国の行儀作法や婚礼の作法もこの時代からおこった。私達の作法は、室町幕府が、定めた武家礼式が原典になっている。 これを読んで、微かながら感銘を受けた。室町時代から連綿して続いているのかと!。 話しは変わるが、室町初期の1420年、朝鮮王国(世宗)の正史として、この時代の日本を見た朝鮮官僚がいた。今、私は、朝10時から11時まで、韓国ドラマ”大王世宋”という番組を毎日見ている。世宗と言う人は、李王朝の中で色んな改革を行った人らしい。その中で中国を模範としている、朝鮮には、通常文字は、漢字しかなく、特に民は、その文字を読みずらく文盲率が、高かった。そこで彼は、誰にでも読みやすくする「文字創製」新しい文字を作ることを考えた。それが、重臣達の猛反対を招いた。その原因は、新しい文字を作る事は、野蛮国に朝鮮はなるというのだ。世宗は、新しい文字を作る為、インド、蒙古、日本に家臣を派遣した。これらの国は、独自の文字を持っている。確かにあの時代の日本は、野蛮国にされていた。その頃の朝鮮は、確か儒教が、国教となり、身分制度が厳しい国だったが、世宗は、民の為文字創製に取り組む。李王朝は、520年続いたそうだが、初期の大王として、世宗のような人が、いなければ果たして、長く王国を維持出来たのだろうか?

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