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司馬遼太郎の「この国のかたち」より

文春文庫本の1~6巻に収められてる日本人の本質を長年にわたって考察してきた著者の深く洞察にもとずく歴史評論集である。その中で、日露戦争の講和条約のポーツマス条約で、日本に不平等な条件を強いられたと一部の国民が、怒りを爆発させ、日比谷公会堂で何万人という人が、条約の反対運動を行い、警官隊と衝突し、死亡者、負傷者が出たそうである。司馬氏は、この時から敗戦(太平洋戦争)への道につながるものがあったと言っている。それは、この戦争が終了して、客観的に分析した政府も軍もマスコミも無かったという事である。条約交渉中ならそれは、秘すべき項目かもしれないが、あの時点で、日本の満州における弾薬は、底をつき戦費もほとんど無い状況であった事、ロシアが、条約を飲まずに、戦争が再開されていたら、日本陸軍は、壊滅的な打撃を受け、非常に困難な事になっただろうという事である。それらの事を一部の政治家、軍人が知ってた上で、あの条約を結んだのである。何故、条約成立後公表しなかったのか、特にマスコミ関係は、この条約締結には、裏があると思わなかったのか、また、その程度だったのか。今だから批判できるというのか。その後昭和期に入る。日本陸軍関東参謀部の独走によって行われたノモハン事件、満州事変そして日中戦争の泥沼に入って行く。それはまさに統師権 を後ろ楯に行ったものである。明治憲法は、三権分立(行政権、立法権、司法権)その他統師権があったそうである。よくわからないが、国家非常時には、この統師権が、上の三権より上に位置が上がり、軍が、それを壟断して昭和の悲惨な滅亡に追いやったといえる。太平洋戦争は、軍、民間あわせて600万以上だったと聞く。二度と起こしてはならない歴史の半面教師である。

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2010年09月14日 13:44に投稿されたエントリーのページです。

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