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宗教の不思議性

私自身、宗教について長らく日本の宗教のあり方についてクリスマスのキリスト教、正月の神社への参拝、葬式等には仏教と何の疑問も無く受け入れてきた。日本人の受容性というものか、そこにあるもの昔からの習慣や伝統を受け入れる心が、少なからずあったからだ。だが、ある時期、フト疑問に思った事がある。

何故、人間は、戦争と言う殺し合いを重ねてきたのか。仏教もキリスト教もマホメット(回教)その他色々な宗教は、人間の幸福を願い、平和を願うものではないのか。その宗教的な側面からみれば、殺し合いが続いた今日、今もテロやある種の戦争が、起きている事が、不思議だならない。今日ある本を読んだ。以前読んだ事のある司馬遼太郎の「この国のかたち」だ。その中に「本来の仏教と言うのは実にすっきりしている。


人が、死ねば空に帰する。教祖である釈迦には、墓がない。無論十大弟子にも墓がなく、おしなべて墓という思想すらなく、墓そのものが、非仏教的なのである。」この文章を読んでいる内に宗教と言う物は、何かとつくづく考えさせられた。私の家にも仏壇があり、先祖の墓もある。だが、本来仏教(釈迦が教えを説いたころの仏教)には、そんな物はない。自分のつたない頭で考えるのは、所詮仏教、キリスト教、回教と世界三大宗教、その他諸々の宗教は、人間の頭で作り出したものではないかと言うことである。この世に神や仏は、居るはずがなく、居れば、この人類の悲惨な殺し合いを見逃すはずは無く、とっくに手を差し伸べているはずである。


そこに至って自分は、これらが一種のまやかしであって、結局は、無神論者になっていく。

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2011年11月26日 08:07に投稿されたエントリーのページです。

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