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2012年02月 アーカイブ

2012年02月03日

井沢元彦「逆説の日本史」から

自分は、若い時から、何故豊臣秀吉は、朝鮮を攻めたのか、これを疑問に思っていた。つたない情報では、淀君が生んだ最初の子が、早く死んだから、その悲しみの埋め合わせとか、秀吉は、かなりもうろくして、奇想天外な事を考えたとか、色々あったが、今回、井沢氏の「朝鮮出兵と秀吉の謎」を読んで、かなりの事がわかった。明と朝鮮への侵略は、まず最初に織田信長が、考えていて、それを秀吉が、受け継いだと言う説。それともう一つ大きな要素は、確かに豊臣秀吉によって、

天下は統一されたが、天下が安定すれば、兵隊の失業が、始まると言う事である。あの頃、足軽以上の兵隊は、40万人以上いたという。その何割かは、大名などに仕える事が出来るが、後は、浪人するか、百姓にもどるかどちらかである。


兵の不満は、つのるはずだある。中国の場合このような時は、その余った兵を異国の征伐に使った。その意味で、豊臣秀吉は、余った兵の使い道として、朝鮮、明への出兵に繋がったと井沢氏は、考える。

むろん、計画では、朝鮮を通じて、明に行き、明との交易を望む事が、最初は、目的であったはずだが、外交交渉で明から、拒絶されそれが、1592年の文禄の役(第一次出兵)につながったと言う事である。少し歴史の謎が解けたつもりだが、井沢氏の解釈に敬意を表する。

衣替えで思う

今年も衣替えの季節になったが、何故か今年は、いつまでも寒く、5月末だというのにまだ炬燵が、かたづけられない。衣替えもまだ早いかと思ったが、時間があったので、夏物を出し、冬物を片付けた。毎年思う事だが、今年一年着て、始末しようと思い着た服を、始末できず又しまってしまう。何ともなってないが、色が少しアセたり、流行遅れだったり、もう着ない服も始末しようと思うが、貧乏症で、なかなか捨てる事ができない。誰かが、2,3年着ない服は、処分すると言っていたが、もったいなくて私には出来ない。そうは言っても、着ない服をなおす場所もないし、服もかわいそうだ。着古した服は、ダメだが、まだ新しく着れる服は、持ち寄って、交換出来るようにしたらどうだろう。古着屋さんや、フリーマーケット、バザー等あるが、お金を取らないで、服を持って行った人は、どの服でも交換できる。自分には、もう着ない服も、他の人には、新鮮でまた着れるかもしれない。そんな事を考えながら、夏、冬入れ替えたが、まだ夏服は当分、着ないかな。

2012年02月13日

最近思うつらつらの事

私は、司馬遼太郎の昔からの大ファンで、彼の小説、対話集、その他色々な著書を読ませてもらった。それは彼の文章力のうまさ、卓越した洞察観、あるいは一つの小説を書くにあたって、膨大な資料を駆使し、又小説の現場に何度も足をのばし、探索と探求を行っている事である。誰か著名な作家が、彼の事を「国民的作家」と呼んだが、正にその通りと思う。そして今私は、彼の集大成のような本を読み始めた。全43巻あるそれは、「街道をゆく」である。過去何回かは、読んだ記憶があるが、第1巻から今は第3巻まで読みあさっている。が、それはいいのだが、この本の末尾に「司馬遼太郎記念館」のご案内と称したものがあって、場所の地図も出ている。しかも記念館友の会のご案内に一般会員3千円、サポート会員1万円、企業サポート会員5万円とある。声を大にして言いたいのは、この記念館は、彼の遺志で作られたものなのか。いや、そうではないと信じたい。もしそうなれば、彼に対する尊敬の念が半減する。何と俗な事かと思いたい。彼を支持する大勢の人は、そうではないだろうと思うが、これはまるで一つの宗教にすぎない。宗教の発生は、初期はまことに純粋であった。それが今はどうだ。教会は、お寺は、何だかんだと言いながら寄付を信者からねだっている。この記念館も是非そうならぬ様願いたい。天国の司馬遼太郎が見たら、何と馬鹿げた宮殿を作ったものかと笑っているだろう。

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