井沢元彦「逆説の日本史」から
自分は、若い時から、何故豊臣秀吉は、朝鮮を攻めたのか、これを疑問に思っていた。つたない情報では、淀君が生んだ最初の子が、早く死んだから、その悲しみの埋め合わせとか、秀吉は、かなりもうろくして、奇想天外な事を考えたとか、色々あったが、今回、井沢氏の「朝鮮出兵と秀吉の謎」を読んで、かなりの事がわかった。明と朝鮮への侵略は、まず最初に織田信長が、考えていて、それを秀吉が、受け継いだと言う説。それともう一つ大きな要素は、確かに豊臣秀吉によって、
天下は統一されたが、天下が安定すれば、兵隊の失業が、始まると言う事である。あの頃、足軽以上の兵隊は、40万人以上いたという。その何割かは、大名などに仕える事が出来るが、後は、浪人するか、百姓にもどるかどちらかである。
兵の不満は、つのるはずだある。中国の場合このような時は、その余った兵を異国の征伐に使った。その意味で、豊臣秀吉は、余った兵の使い道として、朝鮮、明への出兵に繋がったと井沢氏は、考える。
むろん、計画では、朝鮮を通じて、明に行き、明との交易を望む事が、最初は、目的であったはずだが、外交交渉で明から、拒絶されそれが、1592年の文禄の役(第一次出兵)につながったと言う事である。少し歴史の謎が解けたつもりだが、井沢氏の解釈に敬意を表する。